2006年07月03日

しらないおにいちゃん

心霊ちょっといい話ver.9
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1142024880/l50

712 名前: 1/3 [sage] 投稿日: 2006/07/03(月) 06:00:38 ID:Palwd3xZ0

始めて書き込みますのでご容赦を

父が再婚した年の冬、家計を助けるため新聞配達をしていた
中学生の兄が猫を拾ってきた。

寒い中に1匹だけ道路脇に捨てられていたという
その子猫は息も絶え絶えで自力でミルクを飲む力さえ無くなっていた。

当時貧乏だった私の家ではペットを飼う余裕なんて無かったのもあるのだろう
継母は顔を少し顰めて、兄に猫を捨ててくるように言った。

「俺が面倒見るから!」

温厚だった兄が大声を出すのをわたしはその時初めて聞いた。
その剣幕に押されたのか、自分で世話をするならと継母はしぶしぶ了解した。

わたしは猫が飼えるんだと嬉しくなりこう言った。

「にゃーさんの名前はにゃーこがいいなあ」

兄は困ったような泣いたような笑顔を浮かべると、わたしの頭をくしゃっ、と撫でた。
今思うと兄は、その子猫が助からないことをうすうす感じ取っていたのだろう


結局子猫を飼う事はなかった。


713 名前: 2/3 [sage] 投稿日: 2006/07/03(月) 06:03:07 ID:Palwd3xZ0

子供心に納得のいかなかったわたしは、
事あるごとに「にゃーさんを飼いたい」と、兄を困らせた。

そんなわたしに兄は画用紙にわたしと猫の絵を描いてくれた。
わたしのために精一杯描いてくれたであろうその絵を、
絵で誤魔化されたと、バカなわたしはろくすっぽ見ずに
くしゃくしゃに丸めて捨てた。

「ごめんな」

涙を貯めて立ち尽くしているわたしの頭に手を置いて
申し訳なさそうにくしゃっとしてくれた兄。


兄は早朝の新聞配達に出かけたまま戻ってこなかった。


配達を急いでいたらしく、いつもは使わない車道を
横切った時に車に轢かれたらしい。

兄の机の上のわたしが捨ててしまった絵と、新しく
描きなおそうとしていたのだろう描きかけのままの絵を見て
兄が急いでいた訳を知り、泣いた。


714 名前: 3/3 [sage] 投稿日: 2006/07/03(月) 06:05:13 ID:Palwd3xZ0

あれから20年、大きな病気も怪我も無く、わたしは結婚した。

家庭に入ったわたしには娘も出来、その娘は猫を飼い始めた。
2人目が出来たこともあって産婦人科に行こうと、猫と一緒に
じっとベランダを見ていた娘がふいに

「おかーさんにゃーこがもう一匹いる、しらないおにいちゃんも」

わたしには見えませんでしたが直感しました
それは亡くなった兄とにゃーこだと。

あの頃のわたしと同じような年になった娘が
あの頃には飼えなかった猫と一緒にいる姿が嬉しくて見ているのでしょう。

結局娘が兄たちの姿を見たのはその時だけですが、
時々風も無いのに娘の髪が乱れている事があります
まるで兄が頭をくしゃっと撫でてくれた時みたいに。

今でも見守ってくれているのだと、そう思っています。

読みにくい文章ですみません
最後まで読んでくださった方ありがとうございます。
posted by ひめたろう at 14:08 | Comment(1) | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月30日

神が見るもの

【娘も】我が子が可愛くて可愛くて仕方がない Part4【息子も】
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/tomorrow/1144155518/l50

955名前: 素敵な旦那様投稿日: 2006/06/29(木) 17:20:38
461 名前:1/2 投稿日:2006/06/28(水) 21:23:57 ID:GwjuqsD00

この前息子の運動会行ったんですよ、初めてね。
で、生まれて初めて息子が運動会の入場行進する姿を見たわけですわ。
もう4年生なんだけどね。

正直最初は我が子の運動会見学って簡単だと
思ってたのよ。みんな普通に明るく楽しく見学してるからさ。
あのね、私が間違ってた。あれは私ら夫婦が気楽に見るもんじゃない。
神だね、神が見るものだよ。

入場行進始まった時さ、めちゃめちゃびびって他の父兄の後ろからそろ〜って
カメラ構えてそろ〜っとのぞき込んだのよ
10秒くらいかけてさ。

でなんかドキドキして怖くなって後ずさりちゃったのさ。
そしたら旦那がさ「もっと前でしっかり見ようよ!」とか言うの。
同じ過ちは2度繰り返さないのが私よ。

だから前に進んだのさ。
えぇ、そりゃもう再前列でカメラ構えましたとも。
全てを忘れてファインダー覗き込んで息子を捜したのよ。


956 名前: 素敵な旦那様 [sage] 投稿日: 2006/06/29(木) 17:21:24
462 名前:2/2 投稿日:2006/06/28(水) 21:26:47 ID:GwjuqsD00

運動会って梅雨時とか秋の長雨時期にあるから、今までずっと
息子は入院中だったり自宅で寝込んでたりで4年生にして
初めての運動会出席だって事とか救急車で搬送中に心拍停止しかけて
「いやあぁぁぁぁ!!」って叫んだ事とかもう今朝お弁当作りながら
すでに涙目になってた自分とか色々思い出しながらね。

だって旦那が前で見ようって言ったからね。
そしてらエライ事になった。

もうすごい涙。
鼻がもげるのかってくらいツーンと来てすごい号泣。
カメラ覗いていても全てがぼやけて息子の姿なんか見えない。
大雨警報の高速道路でワイパー壊れたまま100キロで走ってる車の
フロントガラスくらい。
もう絶対に事故ってる。

それで横見たら旦那がすごい勢いで鼻すすり上げてエグエグ泣いてんの。
周囲の父兄はドン引きしてるし。ホントごめんなさい。

正直「パパはビデオ、ママは写真、ベストショットバンバン撮るからね!」
なんて大見得切らないで素直に隅っこからコッソリ泣きながら見れば
よかったと思ったよ。
心の底から再前列まで出てきた事を後悔したね。

でも運動会終わって183センチ大男のダンナ共々泣きはらした目で

「暑ー!日焼けして顔真っ赤になっちゃったじゃん。
 これだから炎天下の運動会は。」

とか言っちゃてんの。

ホント私達かっこわるいバカ夫婦。
神様、本当にありがとう。

・・・でも恥ずかしくて来週の授業参観&懇談会に
どんな顔して出席したら良いか分からない。

誰か助けて下さい。
posted by ひめたろう at 11:18 | Comment(1) | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月28日

淡いピンクの振り袖

おじいちゃん、おばあちゃんの思い出
http://that4.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1071493778/l50

214名前: 大人になった名無しさん投稿日: 2006/04/06(木) 02:31:31
去年ばあちゃんが死んだ。

数年前、私と従姉のねーちゃんのために
淡いピンクの振り袖を作ってくれた。
私達がそれに袖を通すのをとっても楽しみにしていてくれて
私もばあちゃんと「成人式は振り袖着てくれる?」「うん」と
約束をかわしていた。


しかし成人式を迎える年、
私は、【振り袖より目立つ格好がいいから!】とかいうバカな理由で
振り袖を着ないでゴスロリの格好で成人式に出席。

更に、ずっと着たかった袴と
好みの青い振り袖をレンタルして写真を撮ることにした。


そのことを知ったばあちゃんは少し淋しそうだったが

「いいわいいわ、●●ちゃん(私)の好きな格好で出ればいいからね」

と言ってくれた。
私は謝らなかった。


成人式から3年後の去年、
ばーちゃんは持病のリウマチから寝たきりになり
あっという間に逝ってしまいました。


お通夜の日、家族で遺品を整理していたとき
ばあちゃんの入院中の荷物から私がレンタルで借りて撮った
青い振り袖の試し撮り写真が出てきた。

ばあちゃんが買った振り袖じゃないのに
こんな写真を大事に持っててくれたんだ…。


せめて生きてる間にばあちゃんの買ってくれた
ピンクの振り袖を着てあげるんだった。

ばあちゃんごめんね。

今更だけどさ、今年振り袖着ようと思うんだ。
天国から見においでね。

posted by ひめたろう at 08:56 | Comment(19) | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月26日

そんなの絶対嘘だ

母親との思い出
http://that4.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1070190095/l50

361名前: 大人になった名無しさん投稿日: 2005/11/24(木) 01:06:17

消防の頃、何か悪い事すると

「あんたは荒川で拾って来たんだからまた捨てるよ」

って脅されてたっけ。

でもな、そんなの絶対嘘だ。
中学に入るまですげぇ太ってた俺を、水曜の夜のママさんバドミントンに
連れて行って一緒にやってた時、他の人からいつも

「○○君はお母さんそっくりだねぇ。打ち方なんてそのまんま(笑)」

って言われた。

アナタは間違いなく世界でただ一人の俺の母さんだ。


母さんがこの世を去るときに言ってくれた言葉

「絶対に幸せになるんだよ」

もうこんな時に何言ってんだよと。
幸せとは何かって教えてくれたのは母さんじゃねーのかよ。

こんなにもたくさんの涙が出るのは、母さんががいてくれて
幸せだったからじゃねーのかよ。

自分の体を犠牲にしてまでここまで育ててくれた
俺が幸せじゃないとでも思ってるのかよ。


もし戻れるのなら、あの瞬間に戻ってそう伝えたい。

posted by ひめたろう at 16:59 | Comment(4) | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月21日

海がみたくなって

泣いた話
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/ms/1149662259/l50

48 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2006/06/10(土) 17:32:55 ID:6jdC2zZQ

妹は子供(男)が2歳のとき、自閉症と診断された。
子供は言語障害もあるので、意思の疎通はないし、
妹が母親だともわかってないようだった。

毎日が修羅場だったようで、妹はまわりが心配するほど
痩せこけて、体脂肪は4にまで落ちた。

ある日、17時くらいに私が妹の家に電話をかけたらなかなか出ない。
心配になって携帯にかけたら「今、駅に向かってるの」という。

「こんな時間からどこへいくの」と聞いたら
「海がみたくなって、○○海岸に行こうと思ってる」と答えた。

「こんな時間からだめだよ。戻りなさい」といっても、
「バイバイ」といって電話を切られた。

死ぬ気だ、と直感した。

あわてて近くに住む両親に電話して、父親に車で追ってもらった。
妹が電車に乗ろうとしたところでつかまえた。

子供は私がプレゼントした可愛いリュックを背負わされて
キョトンとしていたらしい。

駅のホームで父親が「おまえ、死ぬ気か!!」と怒鳴ると
その場で妹は泣き崩れてしまったらしい。


そうしたら、横にいた子供が

「おかはん(おかあさん)」

と言った。


今まで言葉らしい言葉を喋ったことがなかった子供が、
はじめて「おかはん」と。

妹は「一生、この子からお母さんと言ってもらえないと思ってた」
と抱きしめてワンワン泣いた。

今、その子は4歳になった。

言語遅延はいまだにあるけど、保育園でお友達もできて、クリニックでも
「自閉傾向、という程度まで頑張ってる」といわれるようになった。

「おかあさん、おかあさん」と妹にものすごくなついてる。
妹もできて、妹のこともかわいがっている。

私は今でも、妹の「バイバイ」といった声が忘れられないです。
死ぬ覚悟を決めた人間の声ってああなんだな、と今でも思い出します。

posted by ひめたろう at 09:34 | Comment(2) | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月30日

だから、もう安心してね

一人暮らしを始めて家族の大切さを感じた
@一人暮らし

699 名前: 774号室の住人さん [sage] 投稿日: 2006/05/13(土) 18:48:54 ID:ucxRSahd

今さっきのこと。

とーちゃんがいきなり家に来た。
というか親父の車が走っているのを窓から見てしまった。

何事にも厳しかった父親。
部屋は散らかってて、間違いなくうるさく言われるだろうと思って正直
(何で来んだよ、しかもネットやってんだよ。マジウゼェェェ)と思っていた。

「ピンポーン」とチャイムが鳴った。
俺はしぶしぶドアを開けた。

しかしそこには沢山の買い物袋を両手に抱えた父親の姿があった。
沢山の冷凍食品、野菜、インスタント食品、さらには10`のお米まで。

俺があっけにとられていると父親は言った。

「ちゃんと食ってるか不安だったからいっぱい買ってきたよ。
 それにこの雨じゃ買い物にも行けないだろう。」

突然俺の中にこみ上げるものがあった。

何言ってんだ、父ちゃんにそんなお金の余裕があるわけないだろ。
俺は恥ずかしさと情けなさで顔を上げれなかった。


俺は母さんを五歳のときに失った。
それからは父親がずっと遊びに連れてってくれたり、
天気のいい日はキャッチボールをしてくれた。

中学校教師という精神的にも金銭的にもキツイ仕事でも
俺の為に一生懸命働いてくれた。

それなのに人の気持ちも解らず俺は小さいころから
「幼くして不幸になった」と一人で被害者ぶって内気になり
あまり人と付き合わなかったり、
「お前は母さんを殺した。俺を不幸にさせやがって・・・」
と父親を憎み、冷たく接した。

高校を出て就職し、会社は遠い所だったので
一人暮らしを始めることにした。

やっと自由になれた。
これから自分だけの生活だ。
つらい過去はもう忘れよう。

などと浮かれて自分にとって都合のいいように解釈して今まで過ごしていた。
しかし、暗めで内気な俺に友達を作ることは難しかった。


俺は、家でも会社でも一人ぼっちになってしまった。


寂しかった。


さっき父親が来るこの瞬間まで、(俺は一人ぼっちだ・・・)と
半分鬱になっていた。

けれど、俺は一人ぼっちなんかじゃなかった。
こんな自分でも心配してくれてる人がいるって事を知った。


俺は父親の顔を見れなかった。

俺は何をしていたのだろう?
父親を憎み、嫌い、避けて来た自分を殺したかった。


せっかく遠い所からわざわざ来てくれたのに
俺は泣いてるところを見せたくなくて、トイレにこもっていた。

「じゃあ、元気でやれよ。」

と、父親は玄関から言った。

俺は見送るために一生懸命顔を洗って玄関に向かった。
俺は目を真っ赤にして父親を見送った。


父ちゃん、いままでありがとね。
面と向かって言うのは恥ずかしくてできないけど、ここで言わせてもらうよ。

考えてみれば、愛する人を亡くして、一人で働きながら
子育てしてきてくれたんだもんね。

俺なんかより、ずっとつらかったよね。

ごめんね。ごめんね。ごめんね。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。

父ちゃんがいままでくれたもの、これからいっぱい、いっぱい返して行くよ。

だから、もう安心してね。
これから、いっぱい返して行くから。


■関連記事
空の弁当箱
http://ikuzi.seesaa.net/article/18504965.html
お父さんが突然
http://ikuzi.seesaa.net/article/18392542.html
だからお父さん、
http://ikuzi.seesaa.net/article/15340751.html
俺、いま幸せだよ
http://ikuzi.seesaa.net/article/13250500.html
当ブログ検索:
うっかり萌えた父親の…

posted by ひめたろう at 00:25 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

お椀の中に

心霊ちょっといい話
@オカルト

474 名前: 本当にあった怖い名無し [sage] 投稿日: 2006/05/28(日) 18:17:08 ID:6pQSKZ+O0
776 :可愛い奥様:2006/05/27(土) 16:28:16 ID:j94avSMD

怖い話ではなくて魂はあるっていうか、伝わる人には
伝わるんだと思う事を書きます。

私の母は若くして亡くなったんですが、私を早くに産んでいたんで、
亡くなった時、私には2才の子供がいました。

母が「もう2〜3日」とお医者さんに言われた時から私は
ずっと病院に泊り込んでいて、家で娘を夫と義母が見てくれていました。
母が危篤になった頃、ちょうど娘が高熱を出し始めてしまった事も
あるのですが・・・。

母は私の娘をとても可愛がっていて、よくうわごとで

「○○ちゃん、来てる?足音が聞える」

等と言っていました。

もうまさに母が危ないという時、家に泣きながら電話を入れました。

勿論私は夫や義母から後に知らされたのですが
娘は抱っこされながら時計を指差し

「ばあちゃん、ばあちゃん・・・小さい・・小さい・・・」

と言って泣き続けていたそうです。


お通夜の時も高熱は引かず、救急で病院にも行きました。
幸い風邪だとの事で大事には至らなかったんですが。
夫は後から「お母さんがあの子を連れて行ってしまうんかと思った」と
言っていました。そんな事を母がするはずないのですけど。

もしかしたら母の体調を娘が感じ取って
苦しんでいたのかも・・・とは思ったりもします。
娘も母が大好きだったので・・・。

暮れに無くなって、年が明けても私は大人げ無く
悲しみから立ち直れず泣いてばかりいました。

三月の節句には母が買ってくれた雛人形を飾りましたが
その時も、娘は人形を指指し「ばあちゃん」と
嬉しそうに笑っていました。

娘には何かが見えているのかな・・・と思ったりしました。


475 名前: 本当にあった怖い名無し [sage] 投稿日: 2006/05/28(日) 19:23:11 ID:6pQSKZ+O0
777 :可愛い奥様:2006/05/27(土) 16:29:34 ID:j94avSMD

続きです。

母が大好きだった桜の季節になっても
私はまだ立ち直っていなく母を思っては泣いていました。

娘を自転車に乗せて、公園に行きました。
私は自転車に乗りながら道に咲く桜を見て声を出さずに泣いていました。

いつまでも泣いていては駄目だと分かっていたんですが
どっと悲しみが押し寄せて来ると止めようもなくて・・・。


公園に着いて娘を自転車から降ろしたら

「泣かなくていいよ。
 ばあちゃんいるよ。
 おうちにもいる。
 お空にもいる。
 ここにもいるよ」

と言って両手をお椀のように作って差し出してくれました。

私には本当にそこに母がいるように思えました。
娘の作った小さな手のお椀の中に小さな母がいると思いました。

私は「ありがとう。ありがとう」と言って
娘から母のメッセージを受け取りました。


怖い話ではなくてごめんなさい。
ここに書く事もためらいはありましたが
一生忘れたくなくて書いてみました。

posted by ひめたろう at 15:28 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月28日

空の弁当箱

夫婦・家族のジーンとする話を集めるスレ3

391 名前: 素敵な旦那様 [sage] 投稿日: 2006/05/27(土) 05:09:33

小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。

翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。

家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、

「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」

と本当に嬉しそうな声と顔で言った。
俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。

でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で
弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。

親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も
俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。

さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。


392 名前: 素敵な旦那様 [sage] 投稿日: 2006/05/27(土) 05:10:27

でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い
親父のところに戻ろうとした。

流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった
弁当箱を見ながら泣いていた。

で、俺はその時ようやく、自分が
とんでもないことをしたんだってことを自覚した。

でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい
謝ろうにもなかなか踏み出せない。

結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で
親父に何回も謝りながら泣いた。

翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。


親父は去年死んだ。


病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで
頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら

「色々ありがとな、
 飯もありがとな、
 卵焼きありがとな、
 ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」

とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。


弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。

posted by ひめたろう at 16:47 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

お父さんが突然

トーチャン………………
@一人暮らし

184 名前: 774号室の住人さん [sage] 投稿日: 2006/05/12(金) 00:37:34 ID:vUn4Te7e
いろいろあって何年も実家に帰らずにいたんだけど、
警察に捕まって親に連絡がいっちゃって、
わざわざ電車で5時間かけて両親がきてくれて、
そのまま実家に強制送還された。

あたしは家に着いてからも居心地が悪くて黙ってテレビ見てました。
お母さんは台所で食器を洗ってて、お父さんがあたしの隣でお酒を飲んでる。

そしたらお父さんが突然、

『こんなこと言ったら笑われちゃうかもしれんけどな、
 お父さんとお母さんに取って、お前は宝物だ。
 バカでもなんでもいい。元気でいてくれさえすればいいから、
 ちゃんとこの家に帰ってこい。』

って言われた。

お父さんの目が真っ赤で、
堪えきれなくて、あたしもぼろぼろ泣いた。

ウィルコム?かなんかので、
お父さんが何回も『元気か?』って聞いてくるCM見る度に思い出して泣ける。

トーチャン……


■関連記事
だからお父さん、
http://ikuzi.seesaa.net/article/15340751.html
俺、いま幸せだよ
http://ikuzi.seesaa.net/article/13250500.html
posted by ひめたろう at 13:26 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月25日

死ぬまで心から笑えない

カーチャン、ごめんよ…
@孤独な男性

136名前: 名前は誰も知らない投稿日: 2006/05/24(水) 01:36:53 ID:x9h+Frc8O
かあちゃんゴメン。オレ人生終わらせます。
先逝く不幸を許してください。


137 名前: 名前は誰も知らない [sage] 投稿日: 2006/05/24(水) 01:41:53 ID:ZlYgklot0
ちょっと待て


138名前: 名前は誰も知らない投稿日: 2006/05/24(水) 02:53:05 ID:x9h+Frc8O
>>137
引き止めてくれてありがとう。
ここの人は良い人ばっかりだったな。

今車で山の中に向かってるよ…。


139 名前: 名前は誰も知らない [sage] 投稿日: 2006/05/24(水) 03:01:53 ID:ZlYgklot0
いやマジでちょっと待てって
自殺したい理由だけでも聞かせてくれ


140 名前: 名前は誰も知らない [sage] 投稿日: 2006/05/24(水) 03:20:55 ID:BfI/hfZ4O
>>136
今の自分の状況がどうしようもないなら、
そこから逃げ出すという手もありますよ。
ただ逃げた先が今より楽かは分かりませんが・・・。

でもそこからまた這上がればいいよ。
少しそこで休めばいいよ。
自殺したらカーチャンは死ぬまで心から笑えないぜ、アンタが生きてこそだぜ。


141名前: 名前は誰も知らない投稿日: 2006/05/24(水) 03:26:25 ID:/ckZHMvzO
>>138
           まてゴルァ!!!!


142名前: 名前は誰も知らない投稿日: 2006/05/24(水) 03:31:24 ID:ZlYgklot0
>>136出て来い!


143名前: 名前は誰も知らない投稿日: 2006/05/24(水) 03:36:30 ID:MdcOsDpr0
おいおい 大丈夫?


144名前: 名前は誰も知らない投稿日: 2006/05/24(水) 03:36:34 ID:JuDJqMaV0
>>138
逃げんじゃねえゴルァ!!

カーチャソはお前のことここまでずっと育ててきてくれたんだぞ
真夜中にうんちを漏らしても眠い目をこすりながらオムツ替えてくれたんだぞ
毎日ご飯作ってくれたんだぞ
カーチャソはきっとお前のこと一番に考えてくれてる
誰でも親ってもんは自分の子供が1番なんだ

待て!


146 名前: 名前は誰も知らない [sage] 投稿日: 2006/05/24(水) 04:49:00 ID:n8TY5iw80
>>138
カーチャンのこと思ってるなら自殺はイクナイ!


148名前: 名前は誰も知らない投稿日: 2006/05/24(水) 12:37:11 ID:x9h+Frc8O
>>138です。
みんなありがとう。車運転してたら、とりあえず気分晴れた。
もう少し頑張ってみる。


149名前: 名前は誰も知らない投稿日: 2006/05/24(水) 12:42:07 ID:Pudh4O/i0
おおそうかよかったよかったホントによかった
寂しくなったらみんなここにいるからいつでも来たらいいよ

とりあえずかーちゃそより先に死んじゃいかん
カーチャソが一番悲しむことだからな


150名前: 名前は誰も知らない投稿日: 2006/05/24(水) 12:44:57 ID:ZlYgklot0
>>148
生きてた!
何度リロードしたことか…

辛いかもしれないけど頑張れ
時には休むことも必要だぞ


151名前: 名前は誰も知らない投稿日: 2006/05/24(水) 14:30:52 ID:Dakk8U+9O
よかった!みんなナカーマ!
(´;ω;`)泣けてくるぞ!


152名前: 名前は誰も知らない投稿日: 2006/05/24(水) 15:50:02 ID:x9h+Frc8O
みんな本当に本当にありがとう。
思えば食べるものも住むところも勉強する環境もあるんだから、
孤独でもまだまだ頑張る。


友だちいないと不安だ症候群につける薬
友だちいないと不安だ症候群につける薬

posted by ひめたろう at 17:28 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月25日

こんなタイミングで

787 名前: Mr.名無しさん 04/11/05 10:54:37

3年前、初めて18年暮らしてきた家を後にしたんだよ確か昼過ぎ
トーチャンは割りとドライというか頑張ってこいや程度であっさり
してんなぁと思ったな

「俺も仕事向こうであるから、まぁ一緒に行ってやるよ」
とかいって着いてきたしカーチャンはもっとドライで本当にただ漏れが
外出するように「いってらっしゃい」って送り出してくれた

空港まではタクシーだったんだが
その車内でトーチャンが携帯で実家に電話をしたんだ
んでカーチャンとなんか話してると思ったら突然眼鏡はずして目擦ってるの

漏れに代わってくれって携帯渡されてさ、何気ない話をしたわけですよ
そしたら途中でカーチャン泣いてんのに気付いて
泣き声なんてホント子供の頃(記憶曖昧だが小学校低学年)祖父と
喧嘩した以来に聞いたからもう動揺しちまって

最後に

「面と向かって泣くのは恥ずかしいから電話だけ許してね」

とか言われてもうね

・・・もうね


そんでいざ一人暮らし始まったわけですよ
最初は新しい土地でもうやること一杯夢一杯で楽しすぎだったわけだ
しかし例に漏れず五月病ですっげぇ寂しくなって欝になって

気を紛らわすために部屋掃除でもするかーって荷物整理してた時
見慣れない封筒が目に付いた

そこに、カーチャンの手紙が入ってたんだ

「安全第一、自己管理、多少つらくてもこれからの人生に必要な
 試練だと信じて頑張ってください。  
 But、ほんとうに苦しいときは帰っておいで!! 4月13日11:30」

本気で泣いて、こんなタイミングで手紙を見つけた自分と
最後に甘い言葉書いたカーチャンをちょっと怨んだ

すぐに電話して泣き言いって叱咤激励のコンボくらって
最後は「帰ってくるな、今の食費に慣れちゃったから」って言われたよ

でも漏れは知ってる

トーチャン、家を出る日にむりやり向こうで商談作ったろ
カーチャン、また電話越しに泣いてたろ

これ書いてたら帰りたくなったよ(ノA`)トーチャンカーチャン…
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いつかトーチャンの運転で

J( 'ー`)し カーチャンからばいく乗りのたけしへ

894 名前: ?774RR 2005/07/12(火) 21:59:47 ID:21d9Qbcc

昔、俺は初期型のロードスターに乗っていた。
大のお気に入りでかなり金をかけて10年程乗っていたんだ。
結婚する事になって家族が増える事も考えてロードスターを降りる事にしたんだが、
誰か見ず知らずの人間に乗られるのが嫌で若い頃から車好きのトーチャンに
乗ってみないかと持ちかけてみた。

はじめはためらっていたトーチャンだったが、快く引き取ってくれた。
トーチャンは昔からスポーツカーとかにも乗りたかったのだろうが
自営業なのでハイエースしか乗れなかったんだ。

あれから4年。

今も通勤にはロードスターを喜んで使っていると
カーチャンが連絡してくれる。

結局今も家族は増えていないのでロードスターにも乗れていたと思うが
トーチャンが喜んでくれていると聞いてとても嬉しい。
新車でも買ってあげて親孝行してやれば最高なのだ
お古でごめんよトーチャン。

いつかトーチャンの運転でドライブでも行きたいよ。

バイクに乗り始めてから事故で入院した事もあったし、いろいろと
心配ばかりかけているがいつか両親には恩返しをしたいと思っている。

車の話なのでスレ違いなのだが、名前も顔も知らない藻前様達でも
親を大切に思っている事がよくわかるので書き込んでみた。

この良スレがずっと続いてくれる事を切に願う。
posted by ひめたろう at 11:49 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今年も綺麗に

('A`)カーチャン… 親孝行8回目
@独身男性

198 名前: 匿名 05/01/11 10:21:24

カーチャン
一緒にCDラジカセ買いにいったのに、なぜ漏れに金ださせないんですか?

カーチャン
自分の服はお直しするのに、なぜ漏れのシャツは新しいのですか?

カーチャン
漏れがいなかった十年間、誰が雪掻きしてたんですか?

カーチャン
クルマないから、買い物行くの大変だったろ?

カーチャン
階段は、ゆっくり降りろよ。

カーチャン
チャーハンのなかに、輪ゴムがはいってたよ、ハハハ。

カーチャン
あなたの好きな白ユリは、今年も綺麗に咲くのでしょうね。
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酒を飲もう!

たまにゃ家族で
@お酒・Bar

552 名前: 1/2 [ageます] 投稿日: 2006/04/04(火) 10:29:37

「親父とサシで」のスレを某所で拝読させて頂いた者です。
下戸な私ですが、どうしても今の自分の気持ちを形にしたくて
馳せ参じました。

私は現在23歳、親父はもう63歳になります。
上の兄姉二人が生まれてから大分経った後に生まれて来たので
両親の弁を借りれば「今考えると失敗したと思うほど」甘やかされて
育ててもらったそうです。

兄も姉も医大へ進学したにも関わらず、努力する事が嫌いな性分が祟って
浪人→ギャンブル漬けという最悪なローテに陥った私は、恥ずかしい事に
私の身を案じる両親に八つ当たり(本当に馬鹿な事ですか暴力も多々
ありました)してしまい一時は実家に帰るのが苦痛な程になってしまいました。

それでも両親は私を罵ることもなく
毎月の仕送りや食料支援と、私をずっと支えてくれました。

私は相変わらず「そんなの当たり前だ」然とした態度を
取っていたにも関わらずです。

今でこそ数歩の足踏みの後大学に入学し、現在も在学中の私ですが
やはり件の過去に対する慙愧の念に悩まされ続けて来ました。
この「親父とサシで」を覗かせて頂いたのもその想いに拍車を掛けましたw


そんな中、私が昔通っていた保育園から
「ポストカプセル」が届いたのです。


553 名前: 2/2 [ageます] 投稿日: 2006/04/04(火) 10:31:49

「今年は昭和60年(1985年)○○はちょうど満三歳です。
 象が好きで新幹線(今年の3月14日東北新幹線が上野駅に乗り入れた。

 ○○とパパは5月5、6日と弘前城跡の桜を見に新幹線に乗った!)より、
 青い電車の京浜東北線が大好き。毎朝ママと○○駅(実家の最寄り駅)まで
 見送ってくれる。

 車を降りるときは必ずパパとちゅう!
 数字も10まで覚えた。

 さてこの手紙が届く昭和75年、2001年(この手紙は3年遅れてやってきましたw)には
 ○○は大学生になっているハズ。
 何をおいても健康で、元気な青年でありますように・・・。

 一緒に酒を飲もう!」

読んだ途端、母親から傘を持たされて雨の改札で父親を待ったこと。
私を見つけた時の父親の嬉しそうな顔。
帰り際に電車の車掌さんに手を振るのが日課だったこと。
電車が大好きだった私のために週に一回はプラレールを買ってきてくれたこと。

数え切れないくらいの思い出が堰を切ったように思い出され
それこそ滂沱のような涙が出て来ました。


直ぐに実家へ電話を入れ

「親父!今から帰るから一緒に飲もう!」 と伝えたところ
「おういいな!俺がそっちに行くから待ってろ!」 と
嬉しい返事を頂きました。

親父がこちらに着くまでの間、母親から涙声で電話がかかってきて

「パパ泣いてたわよ。ありがとうありがとう。」

と言われ、また枯れるほど泣いてしまいました。

到着した親父と深夜まで飲み(量こそ大したものではありませんでしたがw)、
その夜は私のアパートに泊まってもらいました。

今まで謝れなかったこと、話せなかったことが
嘘のようにスムーズに伝えることが出来、
「酒って凄いなぁ〜」と感服した次第でございます。

オチも無く本当に自己満足なカキコミで恐縮ですが
本当にきっかけ一つ、グラス一杯で親孝行の切れ端でも
できることを学ばせて頂きました。

どうか末永くこのスレが続きますよう、草葉の影から祈っております。
長文駄文失礼致しました。


posted by ひめたろう at 00:08 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月23日

それ以来

一番、泣いた時

688名前: おさかなくわえた名無しさん投稿日: 2006/03/09(木) 04:29:02 ID:gv+IUldo
プチ家出した時。
その日たまたま親と妹に責められて軽くケンカになっていた。
しまいには「携帯と手帳の電話帳見せろ!」だの言われて
友達のことまで悪く言い出したんで頭にきて財布と携帯だけ持って夕方家を出た。
携帯は電源を切っておいた。

田舎だからちょっと住宅街を過ぎると畑か宅地造成地で民家も
街灯もなくて夜は暗く、不審者もよく出没するんで
回覧板や市内の防災放送で注意をうながされていた時だった。

少しは心配させてやれ!と思って、あてもなくフラフラ歩く。
ちょっとお菓子でも買って公園ででも食べようかなと思ったけど、
田舎だから店は早くに閉店してしまい、コンビニもない。
遠くのほうに自動販売機の明かりが見えるだけ。

この寒さなのにホットの飲物がなくて
冷たいレモンティーを震えながら飲んだ。

誰もないほとんど真っ暗な道の脇の石段に座って夜空を見てたら、
いつのまにか夜11時を過ぎていた。

そろそろ帰ろうと思って帰ったけど、だいぶ遠くに来てしまったので
家の近くに着く頃にはもう12時を過ぎていた。

足が棒になってしまって家の前で少ししゃがんでいた時
母が寒いのに上着は春物の薄手のセーターでウロウロしてるのが見えた。

私を見つけると「どこに行ってたの〜」と泣きながら言った。

その夜母は体調を崩してトイレから出てこなかった。
(ストレスで吐いてた)


それ以来、親に心配かけるのをやめようと思った。
posted by ひめたろう at 15:43 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月22日

そして今私は

一番、泣いた時

842 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage 長文の予感] 投稿日: 2006/04/16(日) 19:52:01 ID:ZS9kDxZs
ああ、おまいら見てたら思い出したくなかったけど
辛い過去思い出してしまった・・・

私が厨3ぐらいから母の体調が悪くなってしまい
病院にずっと入院することになった。

私は父は仕事があるので兄貴と交代で学校を休んだりして
見舞いをしたりしていた。

しかし、私が高校2年の夏に父が
『これ以上母の面倒はみきれない』と書き置きを残して蒸発した。

ここでも毎日死ぬほど泣いたが、生活は父の収入で支えていたので
この時から家計を私と兄貴の二人で支えなくてはならなかった。

843 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2006/04/16(日) 20:11:12 ID:ZS9kDxZs
>>842の続き

兄貴は大学生でそれなりに時間もあったので
高収入のバイトでそれなりに稼いでくれていた。

しかし、私は高2。
できるバイトなど殆どなく、一番短時間で時給がよかった
某料理店のウェイターのバイトをしていた。

そこで毎日何時間もバイトをしていると、その店の料理長が
『なんでそんなに頑張っているんだ?』と声をかけてきた。

私は母のこと、父が蒸発したこと、
家計の心配などを全て泣きながら何時間も話した。

すると料理長は、
『こんなことしているよりももっと稼げる方法を教えてあげる』
と言った。

なんと、私に料理長が直々に料理を教えてくれて
私に料理を作れるようになったら、バイト先で
本料理人として雇うということだった。

そして毎日料理長が料理を教えてくれて
高校卒業後の進路も料理の専門学校に勧めてくれて
入学金の一部を料理長が持ってくれた。

今では大学を卒業して免許をとった後
バイト先が今の私の職場になり、高い入学金を持ってくれた料理長に
少しずつでも返せるぐらいにまでなった。

母は退院できるぐらいには回復、
父は・・・まだ見つかってない。
もう探す気すら起きないが。

料理長、ありがとう。

そして今私は泣いている。
posted by ひめたろう at 00:45 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月07日

このぽっけすごいねんで!!

この言葉に励まされた・ホロリときた(う∀`)
@育児


298 名前: 名無しの心子知らず [sage] 投稿日: 2006/03/05(日) 05:13:22 ID:qagTwGHq
携帯からスマソ

「このぽっけすごいねんで!!(`・ω・´)三3ムフー!!」
そう言って幼稚園の制服のポケットをパンパン叩いてた友達Aの息子

ポケットにはハンカチ、ティッシュ、お菓子、小指の先サイズの
ドラえもん、母親とのプリクラ、それにムシキングカードなどなど…
その子にとっての宝物が詰まってた

「ぽっけ叩いたら欲しいもん何でも出てくんねん(`・ω・´)三3フンフン!!」

ソレ聞いて少しイジワル言ってみた

「じゃあミニカー出してみて」

前から欲しがっていて 持っていない事は知っていた
その子はムキになって

「あるもん!!フン!フン!」

とポケットをパンパン叩いて宝物を損らかしていった
私はその子の隙を見てあらかじめ買っておいたミニカーを
そっとポケットに忍ばせた

「フン!…あっ!! …フフ〜ン♪」

得意気に出てきたミニカーを私に見せびらかしてたが、物陰で
(´・ω・`)??
みたいな顔してた


かなり萌えた


299 名前: 名無しの心子知らず [sage] 投稿日: 2006/03/05(日) 05:18:10 ID:qagTwGHq
ある日Aが死んだ
脳溢血だった
職場で突然倒れそのまま逝ってしまった


友達はいわゆるシングルマザーで家族は60を過ぎた御両親だけ
私達も悲しみにくれる間も殆ど無く、葬儀の準備の手伝い、
関係者への連絡などで忙殺されていた

その間、彼はずっとジュウレンジャーの絵本を
何度も何度も読んでいた

通夜が始まりしばらく経った頃、彼が居ない事に気付いた
私と手の空いた者が付近を探した

しばらく探していると友達Bから着信
小さな公園で見つけたとの事

急いで駆けつけるとBは公園の入口で、
どういうワケかうずくまって泣いていた

フッ…と公園の中を見ると彼が居た

暗い街灯の下、


「…お母さん、お母さん…お母さん…」

と泣きながら必死にポケットを叩いてた
周りには宝物が損らばっていた

恥ずかしながら20代女、その子慰める前に
しばらくの間 泣き崩れてしまいました

声を殺して抱きしめる事しか出来なかった
いつの間にか集まってたみんなも泣いていた

あの日は全てが悲しくて仕方がなかった


300 名前: 名無しの心子知らず [sage] 投稿日: 2006/03/05(日) 05:29:05 ID:qagTwGHq
あれから二年
もうポケットは叩く事は無くなった
代わりに

「ぐらふぃっくあーてぃすとになんねん(`・ω・´)三3ムフー!!」

が口癖になった

最近、ずっと絵を描いてるのはソレだったのか
どうやらBが 「お母さんの夢やったんよ」 と教えたらしい
その話を聞いた瞬間、また泣いてしまった
子供の言葉で、何だかこっちの方が救われた気がしたんです

少し画家と混同しているみたいだけど、頑張れ
君には5人のお母さんがついてるぞ
その日までちゃんとAの分まで全力で見守ってるからね

今気付いたけど、スレ違いだったらスイマセンm(__)m
乱文 失礼致しました
posted by ひめたろう at 18:07 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月17日

大好きだよ。

川'A`) カーチャン・・・     J( 'ー,`)し
@喪女

35 名前: 彼氏いない歴774年 投稿日: 2006/01/26(木) 01:57:17 ID:maePHJpG
幼い頃、母が父と話すのが嫌だった。
父が嫌いな訳じゃ無いし、どちらかと言うと好きだった。
父と話す時に母が「女」になるのが、嫌だった。
自分と話す時より嬉しそうなのが、悲しかった。

ある日母に不満をぶち撒けた。
膨らみ過ぎた愛情は、醜く歪んで、言葉を罵りに変えた。

私は馬鹿だった。
とても愚かだった。

「ごめんね」

そう言うと同時に、母の眼から涙が零れた。
初めて見た母の涙は、自分の愚かさによって流れた。
喉はカラカラに渇いてるのに、目頭はこんなにも熱いのに。
私は泣けなかった。いやに鮮明に聞こえてくる、母の謝罪。

36 名前: 彼氏いない歴774年 投稿日: 2006/01/26(木) 02:11:52 ID:maePHJpG
「お母さん、お父さんが好きだから…。」

一言も言葉を発っせずに、ただ無理矢理笑う母を見ていた。
周りから綺麗だと言われた母。
クラスメートからも美人だねと言わる、自慢の母だった。


ねぇ、聞いてる?見てるかな?
私、謝って無かったよね。
変に意地を張って、謝らなかった。

今でも覚えてる。
見ていられ無くて、部屋に駆け込んで、盛大に泣いたから。
泣き疲れて寝ちゃって、何時も一緒に行く買物にも行けなかった。
貴女はあんな時でも、母親として動いてた。

次に会ったのは病室。
瞳は半開き。少しだけ開いた口。綺麗な顔。

37 名前: 彼氏いない歴774年 [sage] 投稿日: 2006/01/26(木) 02:23:41 ID:maePHJpG
自慢の母。綺麗な母。
眠ってて欲しかった。

ねぇ、まだ私、謝ってないよ?
ねぇ、まだ私、自慢の母なんだって伝えてないよ?
ねぇ、まだ私、毛布をかけてくれたお礼言ってないよ?
ねぇ、まだ私、私…

止めてよ。布なんか乗せないで。
止めてよ。眠ってるだけなんだから。
止めてよ。止めてよ。止めてよ。
母を殺さないで。

今なら言える。
ねぇ、見てるよね?
本当はずっと言いたかった事。
恥ずかしくて、言えなかった事。

お母さん。
あの時は、ごめんなさい。
大好きだよ。
posted by ひめたろう at 09:30 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月15日

そんな風に思えるようになった

嗚咽 その9
@30代

371 名前: 大人の名無しさん 投稿日: 2006/02/03(金) 14:16:22 ID:EQu6nDmx
去年のはじめ主人が死んだ。大腸がんだった。
2人の娘を残して逝ってしまった。
腫瘍が見つかってからたったの半年しか生きられなかった。
まだ36歳。これからだって言うのに。

余命を告げられてからも元気な日は子供たちとたくさん外に出た。
働き虫で子供と接するのが苦手だった彼だが、
会社をやめてからはずっと子供と過ごしてくれた。
秋に北海道旅行もした。写真やビデオもたくさんとった。
しかし冬になって見る見る弱っていった。
入院を余儀なくされたが、病室のベッドで子供たちと絵を描いたり、
絵本を読んでやったり、プリキュアごっこをしてくれた。

子供たちはまだ幼稚園児だったが、
父親が死んでいくということに気づいていたようだ。
その証拠に「パパはもうすぐ天国に行くんでしょ?」
ってあどけなく言っていた。

「パパ痛い痛いの?○○がさすってあげる」
「パパの痛いのどうやったら飛んでいくのかなあ」
幼い手で父親のお腹なでながら困った顔をしている娘たちをみて苦笑いしていた。

「パパ大好き。ずーっと大好き。
 天国に行ってもずーーっと大好きなんだから」

と突然子供たちに抱きつかれ、へらへら笑いながら泣いていた。
子供たちは幼稚園が終わるとすぐに病院に行って夜まですごした。
毎日毎日話をして楽しく過ごした。

意識が無くなる前彼は言った。

「ゴメンな。
 でも、子供がこんなに愛しいってこと気づけてうれしいんだ」

そう。彼は幸せに死んでいった。
彼が幸せなら、遺された者も幸せ。

1年たってやっとなんとなくそんな風に思えるようになった。
 
posted by ひめたろう at 21:51 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月14日

この日を一生忘れない

川'A`) カーチャン・・・     J( 'ー,`)し
@独身女性

740 名前: sage 投稿日: 2006/02/05(日) 13:55:57 ID:zR5GKKlG
幼稚園デ『オカ〜サン ナ〜ニ オカ〜サンッテイイ匂イ♪』ッテ歌ヲ教ワッタ。
家ニ帰リ、早速
川´∀)「オカ〜サン♪」
J('-`)し「ナニ?」
川`Д)「違ウ!ナ〜ニ?♪ダ!オ母サンノバカー!」

―消防時代―
川´∀)「オカ〜サン♪」
J('-`)し「ナニ?」
川`Д)「違ウ!ナ〜ニ?♪ッテ言エ!バカー!」

―中房時代―
川´∀)「オカ〜サン♪」
J('-`)し「ドーシタノ?」
川`Д)「何度言エバ分カルンダヨ!ナ〜ニ?♪ダロガ!モウ一生歌ワネー!」

―22歳現在
川´д')ポソ「…オカ〜サン♪」
J('-`)し「ナァ〜ニ?♪」
川'д')ハッ!
J('∀`)し「ウフフ、デショ?」
川´∀`)「ウン!!ェヘヘ〜」

この日を一生忘れない。
posted by ひめたろう at 21:45 | 一レスもの:泣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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